【アントレ.netに社長のインタビュー記事が掲載されました】

 

https://entrenet.jp/top-interview/life08.htm?cbn=top_interview_0008

 

独立開業のプロフェッショナルが語る人生論

 

好きな地域で活躍しながら、全国の仲間と結ばれている。新しい時代の繋がりです。代表取締役 新佛 千治 株式会社ハッピーカーズ

 

事業内容

出張車買取り専門のハッピーカーズ。車を通じて関わる人すべてにハッピーを提供していくという理念で、地域に根付いた車買取りの専門家を増やしている。社長自らSNSでオーナーとやり取りを行い、フラットでカジュアルな繋がりを築いている。

 

些細なきっかけと、ほんのちょっと勇気があれば、未来なんかガラッと変えられる。

 

私の社会人キャリアは地元広島のメーカーで営業職からスタートしましたが、入社2年目にして、父が亡くなり、同時に母も入院。自分ではどうにもならない状況に会社員としてキャリアを積んでいくことに限界を感じました。このまま事情があるからと、流されて生きていたら取り返しのつかないことになる。ゼロから始めるために、やるべきことの優先順位を明確にしました。最初に今の仕事、次にウインドサーフィン。そう決めてからは仕事を徹底的にやりました。遊びはなし。一年でトップレベルの営業になり退社。翌日、ハワイへ。期限は一年。毎日ウインドサーフィンだけを限界までやりました。そして帰国後待っていたのは病気がちな母と無職の二人暮らしという現実。やるべきことはやり切った事実と、なにもない自分。それは未来の自分を自ら獲得していくための覚悟のような時間だったと思います。

 

状況は、圧倒的に変えないと。

 

ランドクルーザーを車買取店に80万円で売って、その現金片手に東京へ。当時ピカピカに輝いてみえた広告業界で「30歳までに一流になる」と決断。周囲は大反対を通り越して嘲笑の嵐でしたが、何もない自分には踏み出すことしかできませんでした。弁当の配達をしながら、広告系の出版社に「僕を採用すれば間違いありません」とプレゼン。次の日から広告業界で一流といわれる人たちの中での仕事が始まりました。そこで広告、メディアに関するあらゆることを吸収し、学びました。とはいえ自分の給与は手取りで15万円程度。30歳まであと2年。そんな時に見つけたのが大手メディアサービス会社の広告制作ディレクターの募集でした。

 

 

フリーランスから、会社の経営者に。

 

大手メディアサービス会社にはまずアルバイトで、採用されました。3か月後に正式に制作ディレクターとして業務委託契約。これまで広告業界で一流の人の仕事を見てきたので、次は「自分が一流になる番だ」なんて思って意気込んでいましたね。制作ディレクターも人気商売。仕事を持ってくる営業にいかに価値あるディレクターだと思わせるかが勝負。いかに、クライアントを喜ばして、営業の数字を伸ばすか。そこに徹底的に注力した結果、個人事業主として、1年目から十分な収入を獲得し、4年目には制作会社を立ち上げ1億円近い売上に。自分が作った広告で人が動き、クライアントから、そして営業から喜ばれる。さらには営業経験も活かしてプレゼンで仕事の幅を広げ、また売上が拡大していく。本当にグッドスパイラルでした。ひと仕事終えてから夜中にみんなで焼肉を食べて、会社に戻ってまた仕事をする。そんなハチャメチャな働き方でしたが、毎日楽しかったですね。一流と誇れる仕事も仲間にも恵まれたおかげでいくつかあったと思います。

 

ビジョンを示せなくなった経営者。

 

33歳で結婚して湘南の海沿いに住まいを移しました。東京から離れ、家族を持つようになり、その頃から広告制作という仕事にジレンマを抱えるようになりました。自分が動いて考えて広告を作っていく労働集約型の仕事の大変さと、人を使って収益を上げていく制作会社特有の経営の難しさ。そんな中、毎日ガムシャラに働くことから一歩引いて、新しい稼ぎ方、働き方を自然と模索していましたが、リーマンショック、東日本大震災と外的な要因が続き、これまでのやり方が決定的に通用しなくなってきました。単価も売り上げも低迷。若いディレクターにビジョンを示していけなくなったんです。

 

 

未知の領域へ踏み出すためのきっかけと結果。

 

しかし決して売上が下がっていくことをただ悲観的には捉えるということはありませんでした。むしろ、次の道に進む良い機会だと考えていたくらいです。なにげなくアントレをみていると、中古車輸出のフランチャイズに目が留まりました。広告制作はドメスティックで労働集約型のビジネス、車の輸出はそれとは逆で、仕組み化して収益を上げるビジネスでなおかつグローバル。即FC加盟を決断。期待に胸をふくらませて挑んだものの、数年経っても結果は付いてきませんでした。しかし、どうせやるなら徹底的にやろうということで、車の輸出先となるアフリカのタンザニアの港町ダルエスサラームに現地法人を設立しました。現地に滞在し、大々的に新聞広告を打ったり、オープニングイベントを行ったり、政府機関の偉い人とも会いました。とにかく全てが初めての経験。毎日が刺激的で命がけ。結局、現地でも車は売れず、経営的な面ではうまくいきませんでしたが、次のステップに進むための大きな経験となりました。

 

在庫なし、資金回収まで一週間以内の車買取りビジネス。

 

色々策を講じたにも関わらず、うまくいかずまた振り出しです。イチから何かをやらなければなりません。そこで考えたのが、地域に根ざした車の買取り事業です。グローバルから、日本語の通じる地元へ。中古車売買とは何か、簡単に紐解いてみると、業者は買取った車を専門のオークション会場に出し、それを中古車販売店が買う。そして、お客様に販売する。そのような仕組みです。当たり前ですが、業者は安く買い取って高く売れればより多く収益が出るので、できるだけ安く買おうとします。と私はここに着目しました。「そんなに安く買い取らなくても、利益は出せるはず」。毎週開催されるオークションの特性を理解した上で、徹底的に経費を掛けなければ、「少々高く買い取っても。利益は出る」。この買取のスキームを確立すれば結果的に顧客に対する価値提供ができると考えたわけです。

 

 

 

目先の利益より、自らが存在する価値の追求。

 

そのスキームを確立させるために、まずは理念づくりから始めました。お客様も私たちも損しない、お互いにハッピーに。もっと地域に根ざして簡単、気軽にお客様の相談に乗れる専門家になれないか。中古車に値段を付けてただ右から左に流すのではなく、地域の人たちが車のことで困ったら頼られる人の集団を作りたかったのです。そのような考えから生まれたのが「クルマを通じて、関わる人すべてをハッピーに」という理念です。ハッピーカーズの最大の特徴は運営コストを掛けないこと。私の経験から、無駄なコストは徹底的にカットしました。地域密着でエリアを絞ることで出張査定が可能になり、即日売却で在庫を持たない。自宅にいながら1人で仕事ができるモデルです。運営コストを掛けないからこそ、お客様の車を1円でも高く買取ることができるのです。そして何より自分がオーナーとして行うので自由度が高い。中古車買い取りビジネスで言われる売り手と買い手で利益は相反するという常識は過去のものへ。ハッピーカーズでは利益は顧客からの感謝の総量と定義しています。

 

きっかけさえあれば、活躍できる優秀な人材が世の中にはたくさんいる。

 

アントレを見ている方は何かきっかけを探しているのだと思います。一歩踏み出すきっかけを。私はハッピーカーズをその取っ掛かりにして欲しいと思います。「ハッピーカーズ®に加盟してよかった」「人生が変わった」「自分がこんなにできるなんて思わなかった」加盟店オーナーからいただくこんな言葉が私のモチベーションの一つでもあります。加盟後、びっくりするくらい活躍されるオーナーもいます。このハッピーカーズのFCモデルは今の時代に適している自信があります。小規模、小エリアで、自分らしく、自分のペースで働くスタイル。SNSで全国の仲間と情報交換をしながらコツコツしっかりと収益を生み出していく。自分からも積極的に有益な情報を仲間にフィードバックしていくことでみんなが成長できる仕組み。それがハッピーの輪になっていく。私もいまだに地元のスーパーで買物していると「新佛さん、この車ちょっと見てよ」なんて気軽に声を掛けられます。嬉しいですよね。地域のお客様に喜ばれるやりがいのある事業で、ぜひ一歩踏み出してみませんか。ほんの少しの勇気で、未来なんかガラッと変わりますよ。

 

※20018.09.28号 PRODUCED BY RECRUIT日本最大級の、独立開業・フランチャイズ・代理店募集情報サイト アントレnetより引用

https://entrenet.jp/

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